上に登れば登るほど酸素は薄く、気温も低温傾向にある。
しかし、この者たちは鍛錬を積み重ねた強靭たちばかりが集められている為、何の心配もいらないようだ。 一人の男が言う。「|阿可《アーグァ》様! あそこに廟があります!」
「よし、見つけたな! そこへ向かうぞ!」
|突厥《とっけつ》の|阿可《アーグァ》たちは目先にある廟へ向かって険しい岩場を進む。
様々な木が生い茂り、視界を遮るように霧が立ち込めている。 進むのも後戻りをするのも困難な場所だが、彼らは行く手を止めようとしない。木枝や葉を踏み鳴らす音だけが響き、皆黙々と登り続けると、突厥たちはようやく山の頂上の岩場に聳え立つ、小さな廟に到着した。「本当にここなんですか?」
「あぁ。間違いない。早く扉を壊せ」
|阿可《アーグァ》の命令に従い、数人の下の者たちが、硬く封じられた扉を抉じ開ける。しかし、扉自体は開くものの強力な呪符で護られているせいか、中に踏み込む事ができない。
|阿可《アーグァ》は「チッ」と舌打ちしながら、預かっていた一枚の呪符を胸元から取り出し、扉の中に投げ入れた。 すると、たちまち呪符の効力が消え、ただの物小屋のような空間が広がり始めた。「さすがです! |阿可《アーグァ》様!」
下の者たちから煽てられて気分の良い|阿可《アーグァ》は、颯爽と中に入り、この廟に祀られていた|三神寳《さんしんほう》の一つ・|神漣剣《しんれんけん》を手に取る。
「これが|呂熙《リューシー》殿が欲しいと言っていた神剣か……」
ひとしきり眺めた後、|阿可《アーグァ》は|神漣剣《しんれんけん》の隣に置いてあった符術書・|万墨帛書《ばんぼくはくしょ》と、青銅製の鳥の形をした銅鏡・|神翼鏡《しんよくきょう》も手に取って胸元に仕舞った。|阿可《アーグァ》は踵を返そうと足元に目を遣ると、石段に何やら文字が彫られているのに気付いた。
しかし、|阿可《アーグァ》は突厥の人間な為、この国の文字が読めない。「おい! この文字を読める者はいないか?」
「いやぁ……、分かりません」
「ふんっ。そうか、まぁいい。早く出るぞ」
|阿可《アーグァ》は近くにいた下の者たちを急かせ、一緒に廟の外へ出る。
すると突然、轟々と鳴り響く猛烈な山鳴りがそこにいた者たちの耳を劈いた! まるで、ここに重鎮している山の神が、天に向かって怒りを表しているかのようだ。 すると、次から次へと地響きも鳴り始め激しい雨が降り出す。 「おい! 急いで退散するぞ!」『は、はい!』
|阿可《アーグァ》たちは、急いでこの激しい崖を次々と飛び降りていった。
廟の中はもぬけの殻となり、激しい雨が扉を無情に叩く。 扉から漏れる雷光が、石段の文字を何度も虚しく照らしていた━︎━︎。在天願爲比翼鳥
在地願爲󠄀漣󠄀理枝
天長地久有時盡
此恨緜緜無盡期
天井にあっては比翼の鳥
地上にあっては連理の枝となって 永遠に離れずにいましょうと 永遠の天空、恒久な大地 それらはいつか終わりの時がやってくる しかし、この悲しみだけはいつまでも連綿と続くことだろう(白居昜「長恨歌」より)
甦ってから三日経った昼下がり、|墨余穏《モーユーウェン》は新しい衣を買いに、|尊丸《ズンワン》と下町へ向かった。 「ここは何も変わってないんだなぁ〜」 「そうだね、ここは相変わらず活気のある人ばかりだよ」 この下町は、古くから商いで賑わう地域で|墨余穏《モーユーウェン》の顔馴染みも多い。|墨余穏《モーユーウェン》は周りからどんな顔をされるか不安だったが、そんな不安は一瞬で吹き飛んだ。 「おい! 嘘だろ! |墨逸《モーイー》じゃないか?! お前、どこに行ってたんだよ!」「はははっ。久しぶり! 魚屋の亭主!」「あら〜、|墨逸《モーイー》じゃない! 相変わらずの美男子ね」「はははっ。甘露の女将さんも、相変わらず美人さんだよ!」「やっぱ、お前が死んだなんて嘘だったんだな! おい! これ持ってくか?」「はははっ。ありがとう! 串屋のおいちゃん! この鳥もくれる?」 他にも、新しい符を書いてくれだの、婿に来て欲しいだの、皆寄ってたかって|墨余穏《モーユーウェン》を囲み出した。 こうして愛嬌のある|墨余穏《モーユーウェン》は、誰かと会う度に次々と声を掛けられ、相変わらずの存在感を醸し出していた。 しばらく歩くと|豪剛《ハオガン》も行きつけだった呉服屋に到着し、|墨余穏《モーユーウェン》と|尊丸《ズンワン》は中へ入る。 すると、|墨余穏《モーユーウェン》が戻ってきたと噂を聞きつけていた大旦那が、涙を流しながら|墨余穏《モーユーウェン》を思いっきり抱きしめた。「|豪剛《ハオガン》のように、ええ男になったの〜、|墨逸《モーイー》! あんな小さくか弱かったのになぁ。|豪剛《ハオガン》もきっと喜んどるわ〜。ワシも嬉しすぎて、もういつ死んでも構わんな!」「はははっ。だめだめ。俺の衣、大旦那に死ぬまで仕立ててもらわなきゃいけないから!」 そう言葉を交わし、|墨余穏《モーユーウェン》は|豪剛《ハオガン》がいつも着ていた黒色の衣を、数点選定してもらった。 |墨余穏《モーユーウェン》は黒が映える男だ。肌白さがより衣の黒を引き立てているようにも見える。 玉佩をつける紐だけを白にし、無駄を無くして品よくまとめる様は|豪剛《ハオガン》譲りだ。 |墨余穏《モーユーウェン》が鏡を見ていると、背後から大旦那が話し始める。 「|豪剛《ハオガン》はよく言ってい
ゆっくりと目を開け、何度か瞬きを繰り返すと、何やら見覚えのある木目の天井が見えた。 (ここは……) |墨余穏《モーユーウェン》は、まだ眠気の取れない瞼を何度も閉じ、思考を凝らしながら周りの空気を感じ取る。 線香の香りと、長年染みついた独特の生活臭が入り混じった懐かしい香り。 ここは間違いなく、前世で世話になった|尊仙廟《そんせんびょう》だ。 (でも、俺は……死んだんじゃないのか? どうしてここに居るんだ? 何が起きてる? ) やはり|墨余穏《モーユーウェン》は、今の状況を把握し切れないでいた。 それもそのはず。|墨余穏《モーユーウェン》は以前、邪符教の|鳥鴉盟《ウーヤーモン》・|青鳴天《チンミンティェン》との戦いで、使用した呪符の反動で命を落としていたからだ。 |墨余穏《モーユーウェン》は、自分の手で頬を軽く叩いてみる。 やはり五感は全て正常のようだ。 腕を上げ、手のひらを眺めていると、床を踏み鳴らす音とお皿を揺らす音が同時に近づいてきた。「おや、目が覚めたようだね。具合はどうだい? |墨逸《モーイー》」 |墨余穏《モーユーウェン》はムクっと起き上がり、その優しい声の主を見る。 そこには、木製のお盆を持ちながら、目尻にたっぷりの皺を寄せて微笑む長老が立っていた。 久しぶりの再会に、思わず顔が綻ぶ。「|尊丸《ズンワン》和尚! 久しぶりだな! 元気だったか?」「いや〜、また君に会えるなんて夢のようだよ」「はははっ。俺も夢のようなんだが……、何がどうなっているんだ? 説明してくれないか?」「そうだね。でもまずは食事を摂りなさい」 |尊丸《ズンワン》はそう言いながら、朝食が乗った木製のお盆を|墨余穏《モーユーウェン》の側に置く。それから熱い白茶を二つの茶呑みに注ぎ、|尊丸《ズンワン》は|墨余穏《モーユーウェン》と向かい合うように正座した。「今朝、裏の墓地を清掃していたら何か音がしたんだよ。気になってその音がした方へ向かったら、君が父上の墓の前で倒れていたんだ。君に近づくと息をしているから慌てて弟子たちを呼んで、君をここに連れてきたってわけさ……。何か心当たりはないのかい?」 「……いや、何にも。気づいたらここで寝かせてもらっていただけだ」 甦った理由がさっぱり分か
幾重にもかかる真っ白な山雲が、その名の通りこの華やかな情景に映える険しい|華陰山《かいんざん》を覆う。 人が無闇矢鱈に入山できる山ではないのだが、この日だけは山雲をいとも簡単に切り裂く異国の盗人術師たちが、ここを訪れていた。 「おい! 後ろに続け! 離れるなよ!」 『はい!』 上に登れば登るほど酸素は薄く、気温も低温傾向にある。 しかし、この者たちは鍛錬を積み重ねた強靭たちばかりが集められている為、何の心配もいらないようだ。 一人の男が言う。「|阿可《アーグァ》様! あそこに廟があります!」「よし、見つけたな! そこへ向かうぞ!」 |突厥《とっけつ》の|阿可《アーグァ》たちは目先にある廟へ向かって険しい岩場を進む。 様々な木が生い茂り、視界を遮るように霧が立ち込めている。 進むのも後戻りをするのも困難な場所だが、彼らは行く手を止めようとしない。木枝や葉を踏み鳴らす音だけが響き、皆黙々と登り続けると、突厥たちはようやく山の頂上の岩場に聳え立つ、小さな廟に到着した。「本当にここなんですか?」「あぁ。間違いない。早く扉を壊せ」 |阿可《アーグァ》の命令に従い、数人の下の者たちが、硬く封じられた扉を抉じ開ける。しかし、扉自体は開くものの強力な呪符で護られているせいか、中に踏み込む事ができない。 |阿可《アーグァ》は「チッ」と舌打ちしながら、預かっていた一枚の呪符を胸元から取り出し、扉の中に投げ入れた。 すると、たちまち呪符の効力が消え、ただの物小屋のような空間が広がり始めた。「さすがです! |阿可《アーグァ》様!」 下の者たちから煽てられて気分の良い|阿可《アーグァ》は、颯爽と中に入り、この廟に祀られていた|三神寳《さんしんほう》の一つ・|神漣剣《しんれんけん》を手に取る。「これが|呂熙《リューシー》殿が欲しいと言っていた神剣か……」 ひとしきり眺めた後、|阿可《アーグァ》は|神漣剣《しんれんけん》の隣に置いてあった符術書・|万墨帛書《ばんぼくはくしょ》と、青銅製の鳥の形をした銅鏡・|神翼鏡《しんよくきょう》も手に取って胸元に仕舞った。|阿可《アーグァ》は踵を返そうと足元に目を遣ると、石段に何やら文字が彫られているのに気付いた。 しかし、|阿可《アーグァ》は突厥の人間な為、この国の文字が読めない。「おい! この文字を読める